春秋社刊 『春秋』2006年7月号 「特集=「認知運動療法」の世界」p.12〜14

2000年4月より「日本認知運動療法研究会」として発足し、2010年4月より「認知神経リハビリテーション学会」に名称変更されています。 一般社団法人 認知神経リハビリテーション学会

マヒの身体を感じ、思考する――私の認知運動療法体験レポート   中島有子

 ■はじめに■

 勤務中に脳出血で倒れて約五年になる。 現在、通院している大久保病院でリハビリを開始したのは、諸事情のため、倒れてから五ヶ月以上経過してからだった。右手はまったく動かず、足は股関節がわずかに動く程度で車椅子を必要とし、また軽い失語症を伴っていた。 

 当初、大久保病院で受けたリハビリ治療は認知運動療法ではなかった。 約三ヶ月入院してリハビリを受け、杖で少し散歩ができるようになっていた。 退院後は医師の判断で、月一回、PT(理学療法)のみリハビリに通うことになった。 リハビリの内容は、普段の生活の場でちょっと無理な歩きをして足を痛めた時、これを取り除いていただくことが主であったと思う。 また私の場合は子供の頃から血液透析をしており、血圧が不安定なこともあって、自宅でのリハビリの効果も現状維持が精一杯と感じざるを得なかった。

 ■認知運動療法との出会い■

 退院して一年半以上経て、リハビリ法が認知運動療法に変わった。 その頃には足のみのリハビリを続けていた影響か、リハビリを受けていなかったマヒの手の状態がひどくなっていて、一旦肩まで持ち上がったマヒの右手は、なかなか下ろすことができなくなっていた。 そこでPTの先生の意向で手のリハビリを開始することになり、本誌にも書かれている中里瑠美子先生に初めてお会いすることになった。 

 中里先生によるリハビリは、まず目を閉じて自分の手の感覚をどこまで理解しているかを確認していくことから始まった。 それまでも目で見ながらマヒの右手に触れると、わずかに触れられている感触があったので、目を閉じてもたぶんそれに似た感触はあるだろうと思っていた。 ところが目を閉じると手首や肘などの関節がどこにあるのかがわからないどころか、ほとんど感覚はないに等しかった。 目に見えない感覚の世界においては私の右手は存在していなかったのである。 

 中里先生からは、リハビリの後、その日のリハビリではどのようなことを行い、またどんなことを感じたかをレポートに書くよう指示を受けた。 私は軽い失語症もあったので、文章を書くことそのものに時間を要したが、リハビリ中に思ったことを咄嗟に話すことができないことが多かったので、それを書き残すことは必要なことであると感じた。 初めはリハビリ内容を思い出すだけで大変であったが、徐々に行ったことだけでなく、二、三日前の感覚も思い出せるようになった。 

 私の場合、手についてはほとんど感覚がない状態から始まった。 当初のリハビリはだいたい次のような感じであった。 先生が私の腕にスポンジを押し付けてどう感じるか質問をする。 私が「何も感じません」と答えると、先生は「何か感じるはずだからよく探してみて」と言う。それまで私は、 皮膚に関 する感覚は「痛い」とか「あったかい」など、瞬間的に感じるものと思い込んでいた。 先生の問いに答えることは、感覚を無から有へ呼び覚ますようで、最初はこの状態からいったいどうすればよいのか……と思ったが、先生から真剣に質問されると私も真剣に考えなければならない、という気持ちになる。 

 さらに先生から次のような説明を受けた。 片マヒ患者の場合、脳に至る神経そのものは正常に機能しているのだが、片側の手足などから受け取った情報を脳が解釈できないことに問題がある、というようなものであった。 この説明を受け、次第に私は体に外部からスポンジの感覚を得ているのに、なぜそれが触れ ていることすらわからないのだろうという気がしてきた。 そこでマヒの手に神経を集中させると、まずは手に圧力がかかっていること(圧覚)に気づいた。 その後リハビリを続けるうちに、今度はやわらかさの異なるスポンジを押し当てられると、圧覚の強弱がわかり、さらに固めのスポンジの時には固いものがあたっていると感じられるようになった。 

 リハビリを終え、自宅に帰ってレポートを書くためにリハビリでの内容を頭の中で再現していると、マヒの右手はじわっと温かく感じていることに気づいた。 なぜマヒの手のことを考えただけでこんなことが起ったのか不思議ではあったが、リハビリを受けた脳と、自分を意識しはじめた右手が、それまでよりも情報交換を行いはじめたような感じがした。 

 以前のリハビリ効果と違い、認知運動療法では、突如わかりやすい変化が起こる事を感じている。

 ■失語からの回復■

 認知運動療法を受ける中で、失語症が徐々に改善してきている。 リハビリ・レポート書き始めた頃は、自分の考えを言葉に表したくても語彙が乏しく、また日常会話でも自分の言いたい内容の半分も相手に伝えることができなかったように思う。 そのようなときに「書く」ことは、自分の言いたい事がどれくらい他人に伝えることができていないかを、直接目で確認させてくれそうである。 

 ところがレポートを書き始めた頃は、書いた後に読み返してみても表現が間違っている部分を見つけることができなかったのである。 その後レポートを書き続けることで、徐々に、思い出して「書く」だけでなく、「書く」ことそのものに集中してきた気がしている。 特に自分の言いたい事を書いた部分は、不自然な文章表現があるとそこが浮き彫りになり、どうすれば自分の考えに近づけられるか推敲することが可能になったのではないかと思う。 

 その後、リハビリの最中に自分の考えたことが口をついて徐々に出始めるようになってきた。 またそれまでは、夫と口論した時などは言いたいことが言えず、ストレスが溜まっていた。 それが突然考えたことがそのまま言葉となってよどみなく口から出てくることを感じた時には、喧嘩をしていたのに気分はちょっと爽快であったのを覚えている。 以前は、反復練習で毎日声を出して文章を読み、徐々に話し方が回復する方法を教わったがそれとは異なり、突然自分が別人になったように話していると感じた変化であった。

 ■生きることの中の認知運動療法■

 こんなことがあった。 テーブルの上にのせた手の指について、指先をつまんでどの指が持ち上げられたかを考えるリハビリ後のことである。 リハビリから帰宅してから、指を見ても何も動いていないのだが、目を閉じると明らかに指一本ずつ意識して動いており、脳と指との間で応答し合っている感じがした。 ただ薬指だけは反応が鈍いことがわかり、薬指の神経がおかしいのかもしれないと思い、このことをレポートに書いた。 レポートを読んだ先生はちょっと考えた後、私に「(マヒでない)左手でテーブルの上で指を動かしてみて」と言われた。 その通り動かしてみて驚いた。マヒでない左手の薬指も他の四本の指に比べて持ち上げることが難しかったのである。 ピアノを弾いたことのある人であれば薬指は他の指に比べて高く伸ばすことができないことはすぐわかるそうなのだが(先生はピアノ経験者である)、私はそれを知らなかったので、マヒの右手と先生からこのことを教わったことになる

 認知運動療法によって、片マヒ患者の動かなくなった体の部分を動かすのは脳であり、損傷を受けた脳を他人の力を借りて治療するのも脳であることを知った。 この治療をはじめたことで何か、自分の思考のメカニズムが変化しているようにも感じている。 認知運動療法の治療を受けていると、セラピストから幾つもの問いが出されるのだが、手足が動くようになることを目的に用いられているその問いは、生きることについて語る上でそのまま使えるものが多いと感じている。

 マヒ特有のビリビリとしびれるようで感覚が理解できないでいる時、それはいろいろな情報が入り混じって、本当に必要な情報がわからない時なのだそうである。 しかも大抵は、特に目を向ける必要のない感覚が強く出て、本当に必要な感覚が弱いのだという。 それゆえに、リハビリにおいて常に試行錯誤しなければならないのだろう。

 同じようなことが人生においても言えるような気がする。 私も本当に重要なことは何であるかを模索しながら人生を歩みたい。 認知的思考は、私のこれからの人生のいろいろな場面で手助けとなってくれそうな気がする。

                         
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          なかしま・ゆうこ▼認知運動療法クライエント