2007.3.31   以前のように気づくことができない


最近は1日を振り返ってみたとき、あの場面で自分の行動は以前の自分ではそんなことはありえなかったなのになあ・・・と感じるこ とが多くなった。 知っている人の目の前を通った場合、本来なら挨拶していたはずであったなのに、その時は気づかずに通り過 ぎた後になって自分の映像を振り返るということが多いのである。

でもよくよく考えてみると、5年前ではさらにありえない行動をとっていたことに気づかされる。 それは倒れて1年経ったころのこと なのだが、透析から自宅に帰るとき、そのころは自宅と透析施設は私が歩いても15分(普通なら5分)程度と近かったのだが送迎 車を利用していた。 自宅の前で送って頂いていたのでパジャマを着たまま透析施設へ通っていた。

ある日透析を終えた後、送迎車に待ちくたびれて、受付の人に今日は一人で帰りますと告げてパジャマ姿で自宅へ帰ってしまったのである。 自宅が近いとは言っても近くに大きな病院であるわけでもない環境の中で、パジャマ姿で杖をついて歩いているの は周りからは奇妙に映っていたはずである。

でもそのときの自分は何もおかしいとは感じなかったのである。 おそらく自分は周りの環境との間には膜で覆われていたような、 何か夢の中でもいたような感じだったような気がしている。 あまり関係はないかもしれないが、倒れた後の入院中に失語症でほとんど周囲の人とのコミュニケーションが取れていなかったときも、目の前の環境が見えていても自分の意思は伝えることができないときに、透明なカプセルに入っているように感じていた。

その頃とは比較にならないほど今では自分の環境との位置付けははっきりしていると思うのだが、気づくべきものに気づけない自分である以上、今でもその頃の延長上にまだ自分がいることは事実なのだろう。 でもかつての病的な自分ではなく、今では前もって注意さえ払うことができれば、脳出血で倒れる以前の自分に確実に近づけることができるのかもしれないと思う。