2006年9月22日 匂いの記憶



『リハビリでの先生のお話』

今行っているリハビリは、動かない手を動かすことが目的ではない。 倒れる前ならおかしいと感じるもの(例え

ば自分の右手の存在がない、など)が、片マヒにより病変してしまった身体の内部環境ではおかしいと感じないこ

とを治療することがまず先であると考えている。 手が動くということは、その治療に付随して現れるものなので

ある。

『お話を聞いて』

 私は脳出血で手足が動かなくなり、失語症であっただけではなく、心(感情)の記憶が閉ざされていたかもしれ

ないと思った。かつては、ただゆっくり戻っているだけと思っていた失われた記憶について、先生のお話を伺って、

どうも認知運動療法の効果で回復しているらしいことに気づかされた感じがする。 私は倒れた当初は親・家族・

友人の名前もわからず、かなりの記憶が失われていた。

その後3,4ヵ月で周囲の友人の名前やどういう関係(会社や高校での友人)かなど、大まかな記憶は戻った。 

しかし退院後の2年間は、その記憶の回復はごくわずかとなり、自分が知っている自分の過去といえば、"私"とい

う人間の年表のようなものを暗記しているだけで生活している気持ちが強くなっていった。 倒れる前に、友人の

家に泊まったときの記憶もなぜか実感がなく、実際に私を泊めてくれた友人に会って話をしたが、当時の楽しかっ

た気分などを心の底から感じることはできなかった。

それがいつからか、ふいに何かの匂い(朝の玄関の開けたときの空気の匂い、外出先での建物の中のちょっとホコ

リっぽい匂い、など)を嗅いだときに、"なつかしい"と感じることが多くなった。 でもただ"なつかしい"と感じ

るだけ、ということが度々起こるために、なぜそう感じるのかが気になって仕方がなくなった。

 その後(はっきりいつなのかはわからないのだが)だいたい今年に入った頃から、匂いを嗅いだ瞬間に「これは

大学の研究室の匂いにそっくりだ」とわかることが急に増えてきた。 その匂いから当時のの記憶と一致する楽し

かった記憶などが芋づるのように出てきて、丸暗記の状態であった自分の記憶が、心に残っていた自分ことが可能

になっている。

退院して約2年間、少しずつしか記憶の回復がなかったのだが何らかのきっかけ(おそらく認知運動療法の何か)

で過去の匂いの記憶を感じさせて、リアリティのある記憶を呼び覚ましてくれたように思っている。