2006年7月18日   イメージの中のヴァイオリン


 2,3週間前から、突然ヴァイオリンの弓を動かしたくなった。 倒れた当初はヴァイオリンの曲はほとんど思い出すことができず、

はっきりと時期は覚えていないのだが、半年前あたりから少しずつアンプした曲が頭の中で歌えるようになっていた。 しかしその

ときはヴァイオリンの弓を持ちたい気持ちは起こらなかった。 その後また夜寝る前に突然弓を動かす衝動に駆られたので、まず

は頭の中のメロディに合わせるように左手で右手を持って動かしてみた。 最初はだらんとした重い腕だったが、一番太い音のG線

を弾くと、以前弾いたときには低音の振動を感じていたので、その気持ち良さを思い出したせいか、肘がだらんとしなくなった。

それからしばらくは弓を動かしたくなる気持ちはなくなったのだが昨日、今度は透析室で同じ状況が起こった。 普段透析室の中

では小さい音で音楽が流れているのだが、たまたまその日はヴァイオリンの曲が流れていて、曲名は思い出せなかったのだが、

明らかに自分の好きだった曲が流れていた。(後で確認したところ、ベートーヴェンのロマンス 第2番へ長調であった) 

透析中だったので、左腕は針が刺してあり両方とも腕が自由に動けないのだが、でも右手は動かしたくて仕方がなくなり、マヒの

右手だけを使おうと思った。 速いフレーズには追いつくことができなかったが、4分音符程度の速さならなんとか追いつくことが

できた。 最後まで頭の中で引き終わったとき、何だかじーんと感動を覚えていた。自分の好きな曲を聴いたから感動したのか、

久しぶりにヴァイオリンを弾いたことでの感動なのだろうか、よくわからない。 私は後者の方が強い気がしている。

それはかつて弦は最も良い音を出す(自分の感情が入るような)場所に指で押さえられて、弓は弦の上を適度な圧力やスピードで

動くことができたようなときに、(いわゆる)ヴァイオリンを通じて歌っていたことを思い出したからである。

音取りはマヒしていない左手だからよかったのだが、弓はすべて音に遅れて動いていたので全体的には全く不完全な弾き方で

あった。 肩は動かず、肘から下を動かして引いていた。(昔の私の弓の使い方として、肘をあまりあげない悪い癖があったことも

事実なのだが・・・)

せめて最後の2、3小節だけでもはっきり弾くことができないかと思い、ものすごくテンポを落とすと、少しだが思った通りに弾く事が

できた。 弓の上げ弓、下げ弓を頭で考えることができたのも久々であった。 急にヴァイオリンのことでいろいろ思い出されていた

ので全く関係はないが、ためしに今までできなかった右手で漢字の書き順を確認すること(空に字を書くイメージ)をやってみると、

遅いながらも右手だけで書き順を追うことができた。  

ヴァイオリンがなくても弾いた実感がある。 以前に私がヴァイオリンを弾いていたことから、リハビリで先生からヴァイオリンを

イメージする課題を出されたことがあったが、そのときはアンプした曲が頭の中に出てこない状況だった。 今はどうしていろいろな

曲を思い出すことができるのだろう。 突然弓を持ちたくなったのは、最近行った固い、やわらかい手の動きに関する課題が影響

したような気がする。

私はお世辞にもヴァイオリンはうまくなかったし、決してヴァイオリンで自己表現できたなんていうことはまずなかった。 私の場合

ヴァイオリンを弾くとは、特に自分の気に入った曲を弾いていると、下手ながらもちょっとうまく弾けたときはそのメロディに感動

したり、また言葉にはない自分の思いを表に出そうとしていたように思えてきた。 今、右手が動かなくなったことで、自分のこと

ではあるが今更ながらにそう感じるのである。 頭の中で弾き終わったとき、右腕がパンパンに腫れているような痛みを感じた。

(手の甲から肘の外側、二の腕の内側)